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歴史文化講座 at あをぎり

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 今日は、京都にある幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」から木村幸比古・武仁先生をお招きしての歴史文化講座でした。大の歴史好きで先生方との交流も深いOさんの主催、昨年に引き続きの企画です。今回は、維新の夢を見た男達をテーマに幸比古先生が「竜馬と長州ファイブ(伊藤博文・井上馨・井上勝・遠藤謹助・山尾庸三)」について、武仁先生が「吉田松陰と松下村塾、その驚きの教育方法」についてのお話でした。写真は武仁先生です。

 坂本龍馬は言わずと知れた幕末のキーパーソンですが、竜馬のすごい所は、歴史的な大転換の時に必ずその場に居合わせたこと。例えばペリー率いる黒船来航の時は江戸にいたし、新しく貿易が始まる時には長崎にいて商社を作ったし、大政奉還の時には京都にいたし…といった具合。すぐれた情報収集能力や判断力決断力実行力があってこそだと。

 長州ファイブ(長州五傑)は、幕末にヨーロッパへ秘密留学した長州藩の5人。西洋の力を恐れた毛利侯がその力を学ぶことや交易を持つことで自らの藩の力にしようと、大金を投じて5人をヨーロッパへ派遣した。伊藤博文と井上馨は明治政府の大政治家。井上勝は日本鉄道の父。遠藤謹助は官僚として活躍。大阪造幣局の桜並木を一般公開する習わしは造幣局長だった遠藤の発案による。山尾庸三は造船の父・日本工学の父・盲聾教育の父。

 吉田松陰の成人してからの生活は旅に出ているか獄中かのどちらかだった。しかし獄中でも腐ることなく本を読みまくり学問を続け勉強会なども催した。松下村塾も謹慎中の幽室で始めた。松下村塾の特徴は、ひとりひとりにあった教育。勉強をしたいものが勝手にやって来て自由に学ぶ。出欠や時間割も塾生が決め、試験や成績評価もない。松陰と塾生たちが共に学び合うという姿勢、他人を動かすはまず自分が動くこと、自らの信じる生きざまを弟子たちにさらけ出して見せることを信条とした。目指したのは平等な教育ではなく公平な教育。わずか2年10か月の期間で集まった門下生は92名。そのうち明治維新後にも生きていたのは約70名で20名以上が明治政府の要職についている。実に3人に一人の割合。塾生は全国から優秀な人材が集まったという訳でなく、たまたま松下村塾の近くにいたという若者がほとんど。そういう若者を立派に育て上げた松陰の教育がすばらしい。坂本龍馬や高杉晋作らも松陰から多大な影響を受けていたのでした。

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 会場のあをぎりは、田川市初代市長の林田春次郎邸として建築され、国の登録有形文化財となっています。天井も欄間も素晴らしいでしょう。武仁先生の写真の右側に写っている丸窓のむこうにある小さな部屋で、五木寛之が「青春の門」を執筆しました。窓からは香春岳が望めます。

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 そして今日のお楽しみ。講演会が始まる前の昼食です。あらかじめ予約してあをぎりの籠御膳をいただけるようになっていました。これにお吸い物と茶わん蒸しがつきます。そしてそして、柚乃香本舗の柚子ごしょうがお土産でした。
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by wkikyoko | 2015-11-03 23:59 | その他の活動 | Trackback | Comments(0)